今から三~四年ほど前。
もう、かなり過去となってしまったお話ですが。
義父母との同居はあっても義母と義母の彼氏(内縁の夫)と同居ってなかなか無いんじゃないかな・・・?と思い、記憶を掘り起こしながら綴ってみる事にしました。
結果から先に申し上げますと、この彼氏さんは既にこの世にはいらっしゃらなくて、もう終わった話になります。(ちなみに義母は健在です💧)
ただ、その当時。
渦中にいた自分は家に帰る事が本当にしんどくて「なんとかならないもんか」と必死にもがいておりました。
そんな毎日を送ったことも、辛かった事は直ぐ忘れてしまえる都合の良い(笑)頭の為、ここに忘れないよう記録しておこうと思います。
このブログの「介護」のコンテンツは私にとって(現在進行形の)備忘録です。
とか言いつつ、単なる過去の愚痴吐きになりそうです(笑)。
主婦にとって一番の最恐ワード「同居」に興味のある方だけ続きをドーゾ😊💦
旦那の実父は20年以上前に他界し、旦那の母(同居中の義母)には長く仲良くしているボーイフレンドが居ました。
そのボーイフレンド(義母の彼氏さん)仮に名前をSさんとさせていただきます。
その方も独身で一人暮らし。確かまだ60代後半ぐらい。(ちなみに義母は当時80ちょい前)
義母はタクシーでSさんの家に出かけて行っては何ヶ月も泊まってきたり、ほぼ同棲状態でした。
私としては義母の居ない家は快適で(エへッ♡)そのボーイフレンドとそっちの家でずーっと仲良くしててもらいたいなぁ~と、祈りにも似た淡い期待を持っていました。(義兄、義姉は反対してたようですが)
ある日、義母が「Sさん、最近ご飯食べられへんねん。」と私に言ってきました。
私「えっ」
声が出るほど驚いたのは”食べる事が大好きで服も4LサイズのSさん”が、
なぜか最近ご飯が食べられない・・・?
それはちょっと・・・
いや、おかしい・・・絶対におかしい。
「・・・病気かもしれんから、検査してもらうようにお義母さんから言ってみたらどうかなぁ?」
私がそう言うと義母は神妙に頷き、その旨をSさんに伝えたのでした。
それから一ヶ月後ーーー。
「検査したらSさん、大腸ガンやって。後1年やって。」
私は義母から聞かされた言葉に、あぁ、やっぱりそうか・・・と納得していました。
Sさんの検査結果に関しては義母本人もなんとなく覚悟があったようで案外明るく「しゃーないなぁ」と漏らしていました。
それからSさんは直ぐに入院、開腹手術となりました。
ですがガン細胞は執刀医が思った以上に転移が進んでおり、開腹したものの処置の施しようがないまま終わったそうです。
そしてそのまま退院。
退院してからはSさんの放射線治療が始まりました。
お医者さんから治療をどうするか(やるのかやらないのか)聞かれた時、Sさんが「少しでも長生きできるなら。」と延命治療を選択したからです。
ーーそれからまた何ヶ月か過ぎたある日。
義母が私にこう切り出しました。
「あのな、なるべくあんたには迷惑かけんようにするから。あの人、この家に呼んで一緒に住まわしてもらえへんやろか。」
・・・マジカ。
・・・・・・。(←葛藤中)
いやいやいや、判るヨ~💦
病気の彼氏を一人で放っておくなんて心配やし。私も人の子、Sさん可哀想だなって思うもん。
でもね、でもね・・・ッ!
義母一人だけでも同居しんどいのに、全然関係ない男の人との同居、それも末期ガンの他人の世話なんて私にできる?言っとくけど看護とか介護とか何の免許も一切持ってないよ?
お義母さん、私に迷惑かけへんって言うけどTV観る以外何もしてないやん?(本音)
今、寝転がってるその布団すら毎晩私が敷いてるんだよ?わかってるんかな??
「この家の方が病院行くの近いしな。それにSさん、もう長くないと思うねん・・・。」
後生や、頼むわ・・・と呟く義母。
「~~~・・・!」
そしてとうとう「嫌だ」と言い出せず、話は同居に向かって進んでいくのでした。
旦那は私がOKなら良いよ~とあくまで傍観者を決め込みノータッチ。(←憎いーッ😣!)
その後も何度も何度も考えた。
なんで断れなかったのか。
周りの誰かにいい人、いい嫁と見てもらいたかったの?それとも断った時のSさんに対する罪悪感?
多分、この時の私はほとほと考える事が面倒になってしまっていて、色んな感情を全~部丸ごとひっくるめて「まぁ、いいか」って事にしちゃったんだろうと思う。
なんとかなるやろ、的な。
そう、義母と同居を決めた時の様に。
そしてこの安易な決断はやっぱり大きな後悔をもたらした。
義母の彼氏(内縁の夫)と同居②はこちらから